ある知人から聞きました。
「私は大人には書を教えたくない。
やれ賞がどうだとか、上手いとか下手だとか、
有名になりたいとか、手本くれだとか書に関係のないことばかり言うからです」
「俗化してはいけない」
はたして、どうなんでしょうか?
たしかに一理あるかには思います。
私も今はただひたすらに自分の感懐を筆に託してただ自在の境地に遊びたいと念願してます。
しかし若い頃は(20代)賞も欲しかったし、腕も名も欲しかった。
別にテレビに出るとかじゃなく、この道の玄人筋に一目置かれたかった。
しかし、 やむ無く人の嫌がる職種のバイトで日銭稼ぎに追われた30代、
思いっきり「俗」のただ中にいました。
それでも筆だけは離しませんでした 。
そして四十路にして 現日展や墨心展に復帰してやっと堰を切るように書作に耽溺しました。
結果 幸いにして努力のあとにいつもおまけみたいに、ひょっこりご褒美は来ました 。
初めから欲得狙いではないけれど、でもとても嬉しかったです。
なぜならもういつも崖ッぷち、背水の陣で公募展に臨んでいたからです。
私自身、今はまず第一に純粋に美しい書、感動する書を書きたいと願ってます。
けれども 初学の方や若い方が入賞や師範などの資格を目指すのを
けして否定してはならないと思っています
なぜなら それも最終的な高い境地の書に至るまでの有効な「方便」だと思うからです。
初学者に何より大切なのはとにかくたくさん書くことです。
入賞や昇格を目指してたくさん書き 研究してもらいたい。
そのうちに他人がどうのでない、「自分は書が大好き、生き甲斐」を感じてもらえたら、
これは教え冥利につきます。
長い道のりですねえ…今さらながらですが。
☆王羲之・臨書
☆朴
☆笋老蘭長